☆自分について無知を認め、光明、叡智、智恵を得る
1.知らないことを知らない
知っている知識がすべてであるという状態。他のことを受け入れない。知ってるつもり。まだ、知らないことがあることに気づいていない。
2.知っているのに知らない
知っていることに気づいていない。既に使っている能力など、自然に行っていることに気づいていない。知っているのに認めない。無意識には分かっているのに認めたくない状態。
3.知らないことを知っている
まだ、知らないことがあることに気づいている。
4.知っていることを知っている
知っている認識はないが既に知っているということに気づいている。
☆自分を見つめられる状態を作ります
1.静寂の時間を作る
不安や恐れによる興奮状態は、過去の出来事や過去の経験からの未来を考えているときに起こります。
過去や過去の経験からの未来を考えている時は、自分が体験する未来を想定しているので登場人物として、必ずと言っていいほどに過去の自分が出てきますが、無意識に存在させているので気づきにくいです。過去からの未来も、過去の自分も今この瞬間には、存在していません。思考(マインドの)の働きによって作りだしている幻想です。幻想に付き合うことで精神を疲れさせます。思考(マインド)の働きから離れるために座禅(何も求めない状態)や瞑想(意識を内側へと向ける)、レイキヒーリング(ただパイプとなっている状態)などを行い心身の緊張を解いていきます。
2.静寂の中で感覚を磨く
心(思考と感情)の動き、身体(オーラを含む)のバイブレーション、温度、密度など見えないエネルギーを感じる、観察する。肉眼では観えないものを見る目(サードアイ)を開き、ありのままを観る観察者を育てます。
☆初歩的なヒーリング
1.問題と思っている他者や状況を変えようとしない
自分以外を問題とし、それを変えようとするのは利己主義であり愛に基づく行為ではありません。誰も癒されません。
2.エゴの都合を叶えるものではありません
ヒーリングは、エゴにとって都合のよい、人へと変える技法ではありません。エゴを解放するものです。
3.他者評価をやめる
他者を評価することで自分を正当化するのを止めます。自己顕示欲を強めることのをするのをやめます。
他者への評価は、自分の偏見によるものがほとんどです。正当化は自分を癒す障害となります。
☆思い込み、無意識の常識を癒す
1.他者と自分が同じように見えているはわかりません
視力のよい人が視力のわるい人の見え方が分からないのと同じように、あるものを見た時に、それが同じ形、同じ色、同じ質感に見えているかは、他者の眼を通して見ないと分かりません。しかし、無意識的に他者と自分が同じ世界を見ていると思っています。自分の感覚なりにしか見えていないのです。同じように見えているという思い込みが誤解を生んでいます。事象に対する印象、感じ取り方も同様で、相手が感じ取っている感覚が同じかは、分かりません。味覚においても誰かの「美味しい」が自分の「美味しい」と一致しているかは、分からないのです。
2.言葉を他者と同じようには受け取っていない
言葉に対する解釈、意味づけも他者と同じかを確かめる方法はありません。共通の言語を使っているからと言って同じ解釈をしているとは限らないのです。自分なりの解釈でしかありません。他者が自分の意見に同意しても100%理解しているということはありません。逆に誰かの意見を100%理解していることもありません。
3.感じている対象は、自分の五感の反応です
目に映るものでしたら、視覚の反応に気づいているのです。音を聞いている時は、聴覚の反応に気づいているのです。その他の感覚もそれに対応したものに気づいているのです。自分の外界にあるものを感じているつもりでも、自分の身体の反応を感じているだけです。
4.肉体、身体は命ではない
肉体の死は命の死ではありません。命は目に見えず、形態を持たずに生き続けているものです。
☆心と向き合うヒーリング
1.ストレス(不安、恐れ、不満、怒り、憎しみ)発散について
ストレス発散のための、たばこ、アルコール、ギャンブル、ゲーム、スポーツ、趣味、仕事などは、一時的な快楽(興奮状態)、精神状態の変化を得るための方法でありストレスの根本は取り除かれません。しかし、ストレス発散のための対象物、たばこ、アルコール、ギャンブル、ゲーム、スポーツ、趣味、仕事などが悪いということではありません。そのものは「悪」ではないのです。気分を変えるための一つの方法としては必要です。 精神状態の変化を求めているということは、ある特定の不快な感情を抱えているということです。 その感情に中毒(生活や身体に障害がでている)、依存(その感情の選択をやめたいがやめられない)しているということです。 感情依存は、常に特定の感情に執着しそれを選択しているのが問題なのです。 ストレス発散によって得られる快楽は、執着している感情を避けよう、覆い隠そうとしている行為です。だから、すぐにストレスが現れ解消されることがないのです。執着している感情を覆い隠そうとすればするほど感情は抑圧され、いずれ暴れ出します。抑圧している感情を認め、赦し(感情を悪と定めることを手放す)感情の流れを許します(許可します)。
2.感情依存ある特定の感情への依存状態は、やめたいけどやめられない状態です
やめたいけどやめられないのは、依存対象で満たそうとしている行為です。特定の感情を避けたいと思いながら、その感情で満たそうとしています。例えば「嫌だ」「嫌だ」「嫌だ」と常に思っていると、自分という器を「嫌だ」で一杯(満たす)にしています。さらに、「嫌だ」と結びつける対象(人、もの、事象)も増やしていきます。最後に全てが「嫌」という状態になります。
3.他者や周りの環境を変えようとすることについて
他者や周囲の環境を変えよう、または変える行為も、依存している感情を観ずに避けようとしている行為です。感情を乱す原因が他者や環境といった対象物にあると決めつけているのです。ストレス、不快の原因を自分以外の他へとすり替えています。
4.心の管理者は自分です
周囲の環境や状況、自分と関わる人の性格が変われば、自分が変われるなんてことはありません。誰かや何かの責任にする被害者意識が、自分本来の力を放棄しているのです。 思考、感情、身体は自分が生み出し、その思考、感情、それらに反応している身体を認識しているのです。自分の心に責任を持つことで被害者意識を手放せます。被害者意識を手放すと被害者となる事象が現れなくなります。
5.心の状態が身体に現れている
緊張するとお腹が痛くなる。トイレに行きたくなるなど、心(思考、感情)状態(エネルギー)が肉体(物質)に影響を与えています。目には見えないエネルギーが物質に影響を与えています。感情のエネルギーによって神経伝達物質、ホルモンがつくられます。笑うとペプチドが増えて免疫力が上がるなど証明されています。身体に現れる疾病を癒やしたかったら心と向き合う必要があります。
6.心の状態を物質、物質界の現象に投影しています
例えば、犬が怖い場合、犬は存在しているだけです。意味を付けて恐れのエネルギーを向けているのは自分の心です。出来事に対しても同じです。意味付けし感情を盛り上げているのは自分の心です。心が常に怒っていれば、あらゆる出来事に怒れる意味付けをします。「不快な思いをさせられた」と怒りを盛り上げ感情と欲求を満足させています。被害者意識、正当化欲求、自己顕示欲、承認欲求などを満足させています。
7.一体化した感情を癒す
お金が不足していること、無くなることに不安や恐れがあるとします、すると不安や恐れを避けようとして、お金を得ようとします。でも増えたところで不安や恐れは消えません。不足していることや、無くなることに不安や恐れを抱いているのではありません。不安や恐れの感情を避けようとして、その感情に執着し意識を向けているのです。その結果、不安や恐れを感じているのです。恐れは恐れ、不安は不安というエネルギーでしかありません。しかし、意識を向け続けることで、それをあたかも自分だと勘違いし、同一化してしまうのです。同一化してしまうと何をしてもその感情を感じてしまうのです。怒り、憎しみ、恨みの感情と一体化していれば、どんな出来事もそれらの感情を通した受け取り方しかできなくなるのです。不満や欠乏感も同様です。「愛されたい」という思いも、不満や欠乏感を埋めるためだと、どんなに愛されていようが満足することはありません。結婚や恋愛の失敗は、無意識の感情に気づいていないからです。
8.過去やインナーチャイルドの癒し
過去やインナーチャイルドの癒しで、当時とは違う解釈をしても、その時に執着していた欲求や感情の正体を見ないと癒されません。無理に解釈の仕方を変えたところで、感情への執着が強まるだけです。
9.物質には力はない
物質に力を与えているのは、思考による意味付けです。「お金があれば、何でもできる。」「お金があれば幸せになる。」「お金が無いと不幸になる。」「お金が無いと生きて行けない。」と物質に意味を付け、そこに力(支配力)を与えてしまっています。物質崇拝とか偶像崇拝といいます。力のない物質に、力(支配力)を与え自分の力を失っています。思考をコントロールするのが自分です。物質崇拝するように思考にコントロールされてしまっています。
10.物質的な親子関係に依存しない
「親がいれば安心」「子供がいれば安心」と親は子に、子は親に依存している時、物質崇拝と同じことをしています。自分を助けてくれるモノとしか見ていません。子供が親の思考を受け入れ「自分が面倒をみる」となると共依存関係となります。物質としての親(信念、観念、感情)を崇拝することになり、自分の力を失います。兄弟の上下関係も共依存の物質崇拝となりえます。支配欲も関係しています。
11.支配しようとすることで支配される
「お金があれば何でもできる」と言ってお金を支配しようとすると、お金に力を与え支配されます。家族も同様、子供を支配しようとすれば、子供に支配されます。親を支配しようとすれば親に支配されます。兄弟も一緒です。 自分が支配しようとすることで、その対象に自分が支配(動かされる)されます。
12.過剰な物欲
物質を手に入れることによる喜びは、一時的なものです。どんなに多くのものを手にしても満たされません。欠乏からの欲求は、「まだ足りない」「まだ足りない」「まだ、足りない」という思いで自分をいっぱいにします。だから、欲しがります。知識を過剰に求めるのも同様です。
13.欲しがりはあらゆるものが欲しい
物質や知識を過剰に手に入れたいのは、他者評価を得たいこととも関係があります。他者評価を得ることで、地位や権力や支配力が手に入ると考えるからです。また、他者評価とそれに関わる地位や権力、支配力で恐れを埋めようとします。このような考えはこの世界を正確に観ていないからです。他者評価が欲しいのは、「あなたと私」と切り離した物質の形態をベースとした考え、ものの見方です。でも、実際に体験しているのは、自分だけの思考や感情です。ですからそこに他者は存在していません。在るのは自分の心の感覚だけです。 他者評価を得る必要はないのです。 自己超越者は、心の存在に気づいているから他者評価を得ようとはしないのです。
14.マイルールは、自己イメージを守るため
人格を守るために、こうあるべきというマイルールや家族のルールを守っています。これによって自由な意識を閉じ込め苦しめています。人格は情報の集合体で、形状のない物質のようなものです。地位や名誉を得て人格の価値を上げたところで、物質はいづれ崩壊します。人格の価値を上げれば上げるほどルールに縛られます。抑圧も強まります。人間の本質は人格ではありません。それを守るためにルールを厳守する必要もありません。
15.思考崇拝をやめる
閉ざされた思考は限られたものの見方しかしません。固定観念で事象を判断します。その思考だけを真実、正しいものとして崇拝することで限界を招いています。限られたものの見方では、解決策を見出すことはできません。自分を信じているという人の多くは、思考を信じているのです。思考とそれを認識している意識の区別をつけ、思考崇拝、思考への執着を手放します。
16.私のものを手放す
「私の考え」「私の性格」「私の怒り(感情)」「私の病気」なと「私の○○」と所有するものが増えるほどに重荷になっています。所有物、ステータスを守ろうとして、戦ったり、更に所有したりと苦しみを生んでいます。何も所有しなければ心が軽くなります。所有物に執着しないことです。
17.所有物は自分ではない
「私の人格」「私の考え」「私の感情」と「私の」ですから私は人格でも思考でも感情でもありません。しかし、「私の」と思ったときに無意識に「私」という器を作り、その中に所有物を入れます。そして、所有物を私(自分)と定めています。ですから、考え方(アイデア)について違う意見を言われると私が否定されたと受け取ります。 所有物を全て手放して時の状態が自分です。手放すとは執着しないことです。「私」という個人も器としての所有物ですので手放します。個人を手放すと全体と一致し、宇宙とともに生きるようになり、宇宙の叡智が流れ込むようになります。「宇宙即我、我即宇宙」の境地です。
18.無
有限にどんなに多くのものがあったとしても、有限です。「無」は何もない様子ではなく、限界がなく生み出す空間、可能性です。