潜在意識に植えた種は、豊富か欠乏のどちらでしょうか?
種によって人生が変わります。
潜在意識は、要求通りに応えてくれます。
欠乏の種を蒔くと、土地をからし枯れた樹を育てます。
豊富の種を蒔くと、土地を豊かにし、緑豊かな樹を育てます。
欠乏の種は、足りないという思いから不平、不満、恐怖、不安、怒り、嫉妬などのネガティブな感情や自分には「無い」「持っていない」「できない」というネガティブな考えを育てしまいます。
「無い」という考えが潜在意識にあることで、「自分には価値が無い」「自分には才能が無い」「与えられない、もらえない、受け取る権利が無い」「好きなことができない、邪魔される」「やりたいことが無い」「つまらない、楽しめない」「お金がない」「理解者がいない」「無理、やっても無駄」「愛されていない」という考えを育てています。
子供の頃に、
「あなたは、勉強ができないから遊んでないでもっと勉強(努力)しなさい。」
「好きなことばかりしてないで、私の言うこと聞きなさい。」
「うちにはお金がないから買ってあげられない。我慢しなさい。」
「そのおもちゃ(物質)は、あなたには必要ない」
「姉を兄を見習え、近所の○○さんを見習え」と比較して低いものとして扱う。
このような体験をしていると、欠乏の種を植えた枯れた土地と樹が育っています。
足りないから得るために必要以上に努力をし、我慢と忍耐の連続で何かを得ても一時的で失い、一人で何とかしようと頑張る。
忍耐は、頑張ってやり抜くけど一瞬の高揚感で疲れただけ。
我慢に耐えるために、趣味や子育てなど自分以外のところに没頭し、一時的な喜びを得る。
子供には、将来自分の面倒を見るように心の中で見返りを求めている。
周囲の人や環境、状況をコントロール、支配しようとする。
コントロールの為に弱者、被害者になったり、強者となり威を張ったり。
どんなに頑張っても心の内では満たされない、不足の現実を創造します。
このような場合、最初に蒔いた欠乏の種が育った現実にリアリティを持ってしまっています。
リアリティとは、「それが真実だ」と決定している状態です。
頑張って、頑張って最後に疲れ果てて「もう、いいや」と諦めて欠乏の世界で生きようとします。
「もう、いいや」と思うのは非常に危険です。
「もう、いいや」を叶えるために何をするかというと感覚、知覚能力を閉じていきます。
初めは、気分を落ち着かせて現状を維持、留まることをします。
次に、全てが煩わしいから見たくない、聞きたくない、感じたくない、触れたくない、関わりたくない、理解したくないと身体機能を停止していきます。停止した結果どうなるかというと鬱や認知症の状態となります。介護経験があると分かるのですが認知症は理解できないのではなく、理解したくないのです。鬱状態の時も、受け入れたくないのです。
潜在意識下での「欠乏である」という決定、確信のエネルギーがすべてを破壊していきます。
現れている現実(現象)というリアリティは、欠乏の種の結果の世界(顕在意識の世界)です。
現実(現象)を創っているのは、潜在意識の世界です。潜在意識の中が創造の世界で本当の現実です。
結果の世界で、どんなに頑張って働きかけても基にある欠乏感は何も変わってないので、永遠に結果(欠乏感)の変わらない世界で切りの無い対処を続けることになります。このような世界をバルド、輪廻、マトリックスと言います。
輪廻、マトリックスから出られないようにするのが、秘教、密教、ヨガなどで使わないように伝えられている低位サイキック能力、低級魔法と言われる魔術能力です。
魔術、魔法、サイキックと言われると特別な人が行っていると思われますが、誰でもやっています。
魔術や魔法、サイキックというのは、アストラル界(感情の世界)で行われるもので、外部世界、周囲の世界から何かを得ることによって満足させる方法です。特に、勝ち得た感覚による喜びを得ることです。
例えば、
頑張って働いて、貯蓄を作った。家を買った。
頑張って働いて出世して高い役職について地位を得て、名声を得て、権力を得て満足する。
恋人出来た。結婚できた。愛された。
子供が思い通りになった。いい成績を取った。いい学校に入った。いい会社に入った。
など、根本欲求が欠乏でも叶うので、幸せや喜びを感じるので魅了されます。
これをマーヤ(幻想)の魔術といいます。
「これがあれば、豊かで幸せになれる。」「これがあれば安心、安全です。」という外部からの情報と自分の信念による行動ですが、前提にあるのが不足、欠乏です。
マーヤの魔術に魅了されている間は、自分には能力があると錯覚し潜在意識を知ろうなどと思いません。
得たいものに力があると思って手にしたのに、手に入れたら自分に力があると勘違いします。
地位や名声、権力を振りかざし動かせるのは、マーヤに取りつかれている人だけです。
一般的にはバルド界、輪廻は亡くなった人の行く世界と説明されますが、マーヤの魔術に掛かっている人を「眠っている人」「目覚めていない人」といい、生きながらにして眠っている人(本当の自分が亡くなっている)が住んでいるのがバルド界、輪廻の世界です。
根本的な原因に向かおうとしないのが、「自己愛の無さ」です。欠乏の種を蒔いた時に自己愛を無くします。
欲しいものを手に入れるのも、やりたいことやるのもいいんです。
ただ、欠乏の種から生まれた欲求は得たものに執着を生み、充足、豊富の種からの得たものは執着を生みません。
「本当に満足しているか」「得たかったものが無くても安心で、充足しているか」と自分に問いかけ正直になることが重要です。
欠乏欲求で一生を偽物の幸せ終わるか、この先、本来の自分に戻り充足からの人生を過ごすかは決断次第です。
「現実や自分を変えたいんだけど、でも~」「みんなが~」「ふつう~」というのが、マーヤの魔術の呪文です。
選択を換えられないのは、自分の内にある愛を感知していないからです。
意識が愛のある場所に行っていない、忘れているからです。
今までとは、違った選択をし愛のある場所に戻ると充足、豊富の種が蒔かれ土地がすでにできていることに気づきます。
ヒーリングセラピーやヒーリング技法は内にある愛に触れるサポートをします。
現実を変えるには、過去の決定を覆せばいいのです。