教訓とする靈氣ヒーリングの真理の言葉
己を磨く行であれ
拘りを解す道であれ
諸人と仲好く生きること
素直で親切で腹をたてない修行であれ
体あっての命があるのではない
体は命の仮の宮
欲と自惚れを捨てねば
体は治せても魂は救えない
この言葉は、靈氣ヒーリングをするにあたっての心得を伝えています。
人生の目的について
己を「お・の・れ」と一文字ずつに分解し、その意味を繋ぐと、「奥深く時間をかけて消滅するもの」となります。潜在意識下にあるものを意味しています。磨くは削り取る作業です。
「己を磨く」とは、潜在意識下にあるイメージを削り取ることです。
潜在意識にあるものが拘りです。「拘りを解す」は執着を理解し、手放すことです。
執着を手放すことで、多くの人と分け隔をなくし、自分と他者を同じ存在として扱うこと。
抵抗する感情を統御すること。
存在の真実として
体が主体ではないという真理。
体と命はそれぞれ別のものとして存在するという真理。
命には体ではない宮があるということ。
体に寿命と命の寿命は別であるということ。
問題を抱えているのは魂であるという真理。
魂を覆い隠すものが欲と自惚れであるという真理
魂を救う方法として
欲と自惚れを捨てること。
欲は、「私のもの」として「所有したい」「所有していたい」という願望のことです。
人生の経験によって獲得(所有)・達成したものがあると、獲得した「私」という想念体を作ります。また、逆に獲得できなかった時にも、獲得できない「私」という想念体を作ります。経験によって何かを獲得する、獲得しないと同時に想念としての「私」も獲得、所有します。
想念の「私(優れた者、劣った者)」を生かして続けようとするのが、自惚れ、自尊心、自己顕示欲です。この想念としての「私」が魂を覆い隠し真実の自己、人生の目的、事象を観ることをできなくします。
「欲と自惚れを捨てねば」の文章では、修行や善行などで成し遂げた私を存在させないように注意も促しています。
靈氣ヒーリングは、魂の救済が目的です。
手を当てて、リラックス(感情と思考の混乱)するとオキシトシンの働きで自然治癒力は活性化し肉体は回復します。
しかし、魂が救えたとは限りません。
不調の原因は、欲と自惚れによって魂の光、働きを妨げてしまったからです。
欲と自惚れを捨てるのはちょっとやそっとのことではありません。
あまりに日常的過ぎて、欲にも自惚れにも気づかないのです。
何故かというと、欲と自惚れにまみれた目で欲と自惚れを見ているからです。
自惚れとは、「自分は優れている」と思い込んでいる心です。自分は人より、「劣っている」という思いこみも自惚れです。経験とともに獲得する想念体の「私」を大切にしようとするのが自尊心です。
自惚れは、自尊心の使い方を間違え利用します。
優れている自分は、「正しい者」「正義」「善」、劣っている自分は「弱者」であると強力に信じています。
「正義」や「弱者」でいるために、被害者意識も作ります。
「兄弟のせいで不幸になった」とか「親や環境のせいで病気になった」など「正しい自分」「弱者」には、一切責任はないと決めつけたものの見方をします。
「自分は優れている・劣っている」という思い込みを実現、維持するためには様々な欲をかき、偽りの自分を表現することに満足を得ています。
偽りの自己を表現することへの欲求と満足を得ているうちは、魂は救われません。
自尊心は、偽りの私に向けるものではなく、魂に向けるものです。
靈氣ヒーリングは、高次マインドを発達させ、感情を統御し真実の自己に戻る技法です。